『石の上にも三年』、『三年飛ばず鳴かず』、『桃栗三年柿八年』と言ったように、『三年』というキーワードを含むことわざも多く認められることから、古来より日本という国で三年という時間の流れには、一つ特別な意味があるのかもしれません。例えば、上にあげた3つのことわざだが、三年のキーワードに隠れる意味は『一つの事を成し遂げる、一つの事の芽が出るまでにかかる期間』が示されています。つまり、何か物事に打ち込み、ある程度成果が出るための一定の指標として3年継続するという風習が昔から存在するのかもしれません。
さて、経験的に多くの療法士さんの就労後の動向を見ていても、三年という期間は一つの区切りのように感じます。例えば、就労状況が今よりも需要が供給よりも遥かに優っていた時代は、本当に多くの療法士が三年で最初の職場から去った時代がありました。その理由は様々です。『就職した職場が合わなかった』と言ったネガティブな理由から、『実家のある地方に帰る』、『結婚する』等、その理由は様々です。多くの療法士が、24歳から25歳に差し掛かるこの期間には、人それぞれ、様々な生き方が交錯する瞬間かもしれません。つまり、療法士として働く上で、最初に訪れるターニングポイントと言えるかもしれません。
私の場合は、3年目以降も職場に残ることとなったのですが、実は1年目の大学病院に就職した頃から『3年で辞めてやる。辞めるまで後何日…』なんてカウントダウンをしていたほど、入職当時は仕事がきつく辞める意向を持っていたわけです。しかしながら、1-2年目を過ごす中で、『職場を辞める』という想いは微塵も残らず、『ここで何を成し遂げるのか』と言った充実感や将来への野心に変わっていた事を思い出します。
では、なぜ、そのような意識の変化があったのでしょうか。まずは1年目の頃から続けていた事例報告が軌道に乗り、3年目を迎える頃から『起承転結』といったストーリーを意識し、報告を記載することができ始め、飛躍的に臨床における思考力や展開力が向上しました。この頃から、先輩に事例報告のスライドを提出しても、ほとんど修正されなくなりました。さらには、思考が洗練されたことが直接結びつくかは不明な点もありますが、臨床においても結果を残せるようになりました。そのように、臨床において確かな価値を示すことができるようになると、病棟のスタッフ、先輩、後輩とのコミュニケーションも非常に良好なものとなりました。こう言った自己研鑽が日々の業務に結びつき、職場で承認され始めたことが、『辞めたい』という気持ちをかき消したのかもしれません。
さて、では、最初のターニングポイントと名打ったこの時には何を実施していくべきか、という事になりますが、単に『アウトプットに比重をかける』ということになると思います。1-2年目においても、もちろんアウトプットはしてきたと思います。事例報告などは、その最たる例です。しかしながら、そのアウトプットは自分や周囲の限られたスタッフの中で止まっていることがほとんどではないでしょうか。つまり、この時期になってくると、今まで継続してきたアウトプットそのものが『形骸化』してしまっている可能性があるのです。形骸化は非常に恐ろしい現象で、時間と労力はかかりますが、モチベーションを削ぎ落とし、何も成果を運ばない状態を指すものです。この状態を抜け出すために、自分の所属している病院等の外側への発信を意識する時期が『3年目』程度が妥当なのではないでしょうか。
さて、しかしながら、外部へアウトプットする際には絶対的に気をつけないといけない事があります。それは、『発表の練習として、地方学会などに発表する行為は悪』という事です。もちろん、業界として後進を育てる、そう言った側面も地方学会にはあると考えている方もいらっしゃいます。しかしながら、多くの方の時間をいただき、そこで発信する際には、必ず、発信者と聴講者の双方に利がある事が絶対条件です。この関係性を確保する際には、『実績のある活動をしてきた指導者』の存在がキーになります。1-2年の自己研鑽に関しては仮に一人でやれていたとしても、外部に対する発信においては方向性を明確にする必要があります。
前述のコラム『2年目の療法士の目標や過ごし方』にも書きましたが、実績のある方からの指導を受けるためには、一昔前ならば『大学院』『職場の先輩』などが大半でしたが、今の時代は『実績ある講師のセミナーに参加し、関係性を構築する』『SNSで関係性を構築する』『オンラインサロンに入会し関係性を構築する』など、以前よりも指導を請える環境は整っているように思えます。まずは、実績あるそれらの人があなたに興味を持つような、行動、働き、それらを示し、そう言った方から指導を受けるのも重要になる時期かもしれません。